奈良旅×生活

奈良旅のこと、奈良生活のこと。

平城宮跡と近鉄電車

夜の近鉄電車に乗り、車内に人が少ないときにするひそかな楽しみがあります。

ライトアップをしている時間帯に平城宮跡を通過するとき、大極殿を背にする形で座席に座ります。すると、朱雀門のところで大極殿をバッグにした自分が、対面の窓に映るんです。

ほんの一瞬のことですが、朱雀門、自分、大極殿が重なる瞬間があります。大極殿を背景にした自分がみられるということがなかなか楽しいのです。誰かに写真を撮ってもらっても、朱雀門がむこうに見える状態で大極殿と自分が見えるということもこの時にしか楽しめません。夜なこともあいまって、時間を越えて不思議な感覚に陥る瞬間です。ちょっと面白いので、車内に人が少ないときはお試しください。

近鉄電車といえば、ちょっと前から平城宮跡を通るときに大極殿朱雀門を案内するアナウンスが入るようになりました。(いつでもあるわけではないようですが。)

アナウンスが入ると車内にいる観光客は外をみて、大極殿朱雀門に気づき、わあ!と歓声を上げます。はじめてこのアナウンスを聞いて車内の人の反応を見たとき、なんだか嬉しくなってしまいました。

宮殿があった場所だからといってこんなに広い範囲で残されている場所というのは、他にはあまりありません。見渡す限りの広い土地と空。そして昔から変わることのない山々に囲まれた場所。足元には遺構や遺物が眠っている…。都だったのはたった80年数年でしたが、様々な文物がやってきて、様々な出来事が生まれていった時代でした。旅する者にとっては、歴史に様々な思いを馳せられる場所のひとつでもあります。

 

わたしが奈良に通い始めた最初のころは、JRを利用したり夜行バスで奈良に直通で入ってしまったり、阿部野橋から飛鳥方面に直接行ってしまうことも多かったのです。なので京都駅から近鉄に乗って、平城宮跡に入っていくときの感動を知ったのは、旅をしはじめてから数年経ってからでした。

初めて通ったときの「ああ私いま、奈良に入ったんだ!」という感動は、今でもまざまざと思い返せます。あの体験をしてから今はもう奈良を出るときも、どこかから奈良に帰ってくるときも、ほとんど近鉄を利用するようになってしまいました。

朱雀門の内側から、いってきます、内側へ、ただいま。と出来る今の環境はとても幸せです。

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奈良の宣伝は中央線沿線で

東京に17年間住んでいましたが、奈良に興味を持ちそうな人が住んでいるのは、中央線沿線、中野~三鷹くらいまで、というイメージがあります。「奈良を知ったら、一度来てみたら、奈良を好きになってくれそうな人が居るのでは?」と思うんです。

これを東京に住んでいる奈良好きな人に言うと、わりと納得されることが多いので、あながち間違いではないのかな?と思っています。

なので、奈良の宣伝を都内の主要駅でやるのも大切ですが、この沿線でやればいいのになあと以前からずっと思っていました。奈良を好きになってくれそうな人がいる、来る沿線なのではないかなぁ・・・。

この付近には、のんびり過ごせる場所があるし、ほどよく自然もあるし、個人で営業しているようなお店も多いし、買い物も生活も便利で面白いところが多くて生活しやすいです。西荻窪が好きで通っていたこともありました。住んでいたこともあります。西荻窪あたりがなんとなく奈良の空気に近いと思っていて、勝手な擬似奈良を西荻にみていたところがあったかもしれません。今は駅も新しくなって変わってしまったところも多いのですが、10年くらい前の西荻は、10年くらい前のならまちと通じる空気があったと思います。(個人の主観です)。

 

杉並区の一部では京成バスが走っています。京成バスは夜行バスを奈良交通と共同運行しているので、私が住んでいた当時は車内に奈良広告が貼られていました。朝通勤途中にその広告を偶然見かけると、元気が出ましたね。

「奈良は朝がいいですよ」というポスターだったと思います。ネットで探しても見つかりませんが、奈良交通さんなどに尋ねたらわかるかな?

見かけるたびに奈良へ行きたい思いが募ったものでした。

かたじけなさに 涙こぼるる

奈良に人が来る理由は様々だと思います。

なぜ奈良なの?奈良が好きな理由は?とずっと聞かれてきましたが、奈良に通っていた理由はひとつだけではないし、いまだに明確な答えは出せていません。聞いた相手が納得できるような、期待しているような答えは全く出せていなくて、毎回聞かれるたびに申し訳ないな、と思っています。ですがせっかくブログをはじめたので、何度かに分けて何がどう好きなのかを書いていきます。

 

私が奈良を好きな理由のひとつに、神仏がおわす場所だということがあります。日本各地、神仏がおわすところはたくさんあって、もちろん奈良だけではないのですが、私は奈良にいる神様や仏様に惹かれるのです。

 

西行が伊勢に参詣した際に

「なにごとの おわしますをば 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」

という歌を詠んだそうですが、その境地に共感することが、奈良ではたびたびありました。

 

たとえば、金峯山寺さんでの蔵王権現様ご開帳時の「発露の間」での体験もそのひとつです。大きな蔵王権現様と一対一になって、自分の気持を権現様の前で自分の気持を「発露」してもいいのだ、と思ったときに、涙がぶわっとあふれ出ました。

こんなふうに気持をあらわにしてもいい存在がいるということのありがたさに、心が震えたのだと思います。

いろんなことを我慢したり、耐えたりして生活していることも多い現代社会だと思うのです。つらいことがあったときに「大きな存在」である神様や仏様に手を合わせて、いまの気持を心の中で伝えてもいいのだ。怒りだったり憤りだったり悲しみだったりしんどさだったりと、そんなぼろぼろな気持だったとしても、聞いてくれて見守ってくれる大きさが、人智を超越した存在にはあるのかもしれないと、感じることができる。人間は小さいし、弱い。そんな部分をさらけ出してもいい神仏がいる。

そんなふうに思わせてくれる経験を何度もしました。私はそういうことを感じたのが奈良でした。そのつど、どんどん奈良にのめりこんでいきました。

そして、信仰している方たちとの出会いというものもあります。私は特定の神仏への信仰はしておりませんが、信仰をもっている人たちの存在というのは、奈良に旅をしてきた中でもとても大きいものでした。またそのあたりは別途詳しく書きたいと思います。

守ってきたもの、続いてきたもの、これからも続いていくもの。これからも見ていけたらいいなと思っています。

 

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「うましうるわし奈良の10年」のこと。

「うましうるわし奈良の10年」という本が昨年12月に発売されました。
この本は、JR東海の「いま奈良にいます」キャンペーンに続くもので
この10年間、JR東海管轄の首都圏に流れていた奈良の広告の写真とコピーを集めたものです。
「いま奈良にいます」が終了した後、「うましうるわし奈良」まで少し間が開いたので、京都のような宣伝を奈良はもうしないのかな・・・と残念がっていた時期もありました。

私が「うましうるわし奈良」のCMをはじめて見たのは会社の昼休みで
私はその日とにかく、仕事でミスをしたのか何か苦労をして凄く疲れていて
ああもう本当に疲れた、、、早く帰って寝たい・・・
と思いながらぼんやりしていました。
するとナレーションの「奈良」という声とともにあのテーマ曲の「だったん人の踊り」が流れてきました。
驚いて振り返ると、東大寺の美しい景色とともに修二会の映像が。あのときの衝撃は鮮明に覚えています。
見た瞬間、会社だったのにぼろ泣きしてしまいました。

「そこには、大きな歴史がある。
気高くおおらかな美しさがある。
そして、悠々と流れる時間がある。
大和の国の先人たちは、高い志を持ち、
この国に高度な国家を築き上げた。
さあ、奈良へ。
日本人の原点を発見する悠久の旅へ」

今書き写しただけでも、このコピーは泣けます。
ほんとにありがたかったなあ。「私には奈良がある、奈良に行きたいから働く」と思えば、頑張れたんですよね。
奈良が好きだなあ・・・行きたいなあ・・・その気持ちを呼び起こさせてくれるのに「うましうるわし奈良」のCMには絶大な効果がありました。これは私だけではないです。
ほんとにたくさんの人がこのCMを見て、奈良にあこがれて、奈良に来ています。

それからもテレビCMはもちろんのこと、大きなターミナル駅や地下鉄の中などで新たなお寺の写真やコピーを見つけるたびに嬉しかったし、
今度はこのお寺なのね!と喜んだし、
法隆寺さんの撮影中に偶然参拝して「こんなふうに撮影するんだ」と驚いたし、
奈良旅が終わって品川駅に降り立ったら、また新しいうましうるわし奈良のポスターが貼られていて「家にすら帰ってないのにまた行きたくなる!」と思わせてくれたりと、
遠方に住んで奈良に通っていた私にとってはとても大好きで、大切なCMでした。
もう10年になるんですね。

すばらしい数々の御仏、壮大な情景、静謐なお寺の空間
そういうものを見せてくれた映像とコピーでした。

今回の本は写真もコピーも一部のみしか掲載されていません
そして、東京駅の八重洲口の柱という柱への広告や、
どんなふうに宣伝されていたか、テレビでどのくらい流れていたかが掲載されているわけではないので、
美しい写真とことばが並んでいる本だな、で終わるかもしれませんが、
「うましうるわし奈良」の奈良が、首都圏の人たちの抱いている奈良のイメージです。
そしてそういうものを求めて、奈良にきてる人たちが多いことも知ってもらいたいです。

わたしはもう奈良に住んでしまったので、テレビCMで出会って感動する、ということは出来ないけれど
これからまだまだ続いていってほしいし、
奈良に行ったことがない人には奈良にいってみたいなと思わせ、奈良が好きな人にはもっと奈良に行きたい!と感じさせるCMで有り続けて欲しいです。

CMやポスターは一部こちらから見られます
http://nara.jr-central.co.jp/campaign/adgallery/index.html

昨年はJR東海さんのお仕事でまほろば館で講演させていただいて心底嬉しかったです。

ありがとうございました。

 

「うましうるわし奈良」の10年

「うましうるわし奈良」の10年

 

 

過去に生きたひとたちを感じる奈良

修二会に行ってきました。「お松明」はお堂の上から拝見するのが好きです。今年は数年ぶり(もしかしたら10年ぶりくらい?)に上堂してきました。

写真を撮る方が増えていることもあってか、見学者のマナーには以前よりもとても厳しくなっている様子。禁止事項も増えています。でも、お松明が見世物ではないということがわかっていない方もとても多いようなので仕方ないことなのかもしれません。12日と14日以外は一般の人も上堂できますが、17時半くらいまでには上がっていないと上ることは出来ませんのでご注意ください。また、状況によってはもっと早い時間にお堂への立ち入り規制があるようです。

 

お堂の方から禁止事項や注意事項色々と聞いた後には「十一面悔過法要」がいったいどういう法要なのかなどたくさんお話してくださいました。

その中で過去帳のお話も出ました。話の中に出てくる過去の人たち、聖武天皇光明皇后、実忠和上などなどが、遠い過去の知らない人という感じではないのです。今行われているこの法要のなかに、その方たちがまだ今も生きている。そんなふうに感じられる話しぶりでした。

奈良はそもそも、そういうところなのでした。脈々と続いている法要やお祭の中に過去に生きた人たちがずっと存在しているのを、常に感じていました。そんなふうに先人を身近に感じることができる奈良に感動し、惹かれて旅をし続けて、そして移住したのでした。

最近は私は、法要だから、お祭だから、とわざわざその日を狙って旅をすることが少なくなってきていました。「都合がつけばいつでもいける」というのは住んでいる者だからこそできること。それが嬉しくて、人が少ない時期に個人的に静かに参拝していました。その環境に身を置けるということもとても大切なことなのですが、そちらばかりに偏っていたかもしれません。

奈良に移住して丸2年がたった今日に、長い間続けてきた法要やお祭のなかに奈良を生きた人たちが感じられることを思い出せてよかった。

まだ行ったことがなかったり、最近久しく参列していなかった法要やお祭にも今年は積極的に参加していこうとひそかに誓いました。

 

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ひめみこごよみ 発売

エッセイを~とかいいながら、いきなり最初が商品の完成報告ですみません。

上村恭子の「ひめみこごよみ」が完成しました!

私が皇女を選定して、イメージを伝えたものを上村恭子が形にしています

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表紙は氷高内親王。(元正天皇

 

-4月 手白香皇女

継体天皇皇后。雄略天皇系の皇女ですが、欽明天皇の母でもあり今につながっていく象徴的な存在として感じています。前の季節からのつながり…ということを考えて4月にしてみました。

個人的なことですが、西殿塚古墳にしばらく通っていた時期がありました。時代的には確実に違うのですが、宮内庁では手白香皇女陵墓に治定されています。この付近白い花が印象的な季節に通っていたこともあって4月の皇女を考えたときに手白香皇女が最初に出てきました。


-5月 阿閉皇女

平城京に遷都したときの天皇元明天皇です。女帝です。

恭子さんは私が以前お願いしたときや他の仕事で元明天皇を何度か描いているのですが、今回はまたちょっと違う、強い女性のイメージで描かれています。

5月にした理由は、草壁皇子が薨じたのが(新暦だと)5月だということが大きいかもしれないです。


-6月 吉備内親王

草壁皇子の娘で、長屋王の妃です。個人的に、長屋王の妃ということは、きっと唐からの最新情報などもすばやく手に入るような立ち位置だったのでは、という想像をしています。なので、わりとファッションリーダー的な存在だったのかなと。きらびやかな服装を好んでいたかもしれないなあという想像をしていて、そのことを伝えたところ、このような感じになりました。わりと幼い表情なので、このくらいの年代のころはまだこういう服装ではなかったかもしれませんが、イメージ、ということで。

 

-7月 鸕野讚良皇女

持統天皇です。宮滝の水に触れるイメージ。夏の宮滝はとても気持がいいところです。持統天皇は在位中に31回も宮滝に訪れています。どういう意味があったのか諸説ありますが、夫も息子も健在だった時代を思いながら、ただひたすら疲れを癒していたかもしれません。というわけで夏のイメージで7月にしました。

 

-8月 酒人内親王

父は光仁天皇、母は聖武天皇の娘、井上内親王斎宮ながら、井上内親王が薨じたことで都に戻り、兄の桓武天皇の妃となり娘を産んでいます。娘も斎宮となり、親子三代の斎宮に。しかし娘は若いうちに薨去。酒人内親王自身は829年まで生きています。華やかで自由な女性で東大寺で万燈会を常に行っていたとも記されていたそうです。私はこの、酒人内親王がはじめた万燈会が、今実際は関係が無くても現在も行われている燈花会東大寺春日大社の万灯籠にもつながっているような気がしてならないのです。


-9月 十市皇女

大友皇子の妃で天武天皇の娘という複雑な立場にあった十市皇女です。壬申の乱が終わったのが新暦にすると8月ごろ。その後の月で、少し不安げな表情の十市皇女です。9月ですが、手には山吹を。こちらは有名な高市皇子の歌のイメージですが、高市十市を推すものではありません(笑)(でも高市と十市の関係にロマンを抱く方向けに)

 

-10月 大伯皇女

斎宮、大伯皇女。大津皇子の姉ですね。二上山から弟を悼み詠んだとされる歌が有名です。今回の出来上がってきて一番びっくりしました。色っぽい大伯皇女!10月なのはもちろん大津が薨じた時期だからでございます。

 

-11月 宝皇女

皇極・斉明天皇です。宝皇女に関しても、これまで何度か恭子さんに描いてもらっていますが、また新たなイメージで描いてきたなあと。高向王と結婚する前のイメージでしょうか。「ひめみこごよみ」なので、天皇に即位する前、まだ結婚もしていないころだとすると彼女は女王であって皇女ではないのですが、そのあたりは気にしないでください(笑)


-12月 氷高皇女

元正天皇です。2歳のころに大病をしたことが日本書紀に記されており、また勅願寺の寺伝などをみると決して常日頃から健康な人ではなかったのかもしれません。そんな彼女が養老への御幸で知った養老の醴泉の水は、今まで味わったことのない水で、年号を養老に改元してしまったくらい元正天皇にとってすばらしい水だったようです。その養老の水との絵を描いてもらいました。これまたこのエピソードのときには即位していて皇女ではありませんが、大目にみてください(笑)

 

-1月 額田部皇女

推古天皇です。実は前回のフルコトメガミゴヨミ2015の12月が推古天皇でした。古事記の最後の記述が推古天皇だったので、今回は新しい年の最初に来るように1月にしてみました。前回もシャーマニックなイメージでしたが、今回もそうですね。

 

-2月 阿部内親王

孝謙称徳天皇です。聖武天皇の娘ですが、大仏開眼の際は彼女が天皇でした。ということを恭子さんに伝えたところ、仏様と向き合うような風情で描いてくれました。これた色っぽいですが(笑)


-3月 飯豊青皇女

最後は飯豊青皇女。飯豊天皇とも呼ばれ、甥(または弟)たちが見つかるまでの間、即位していた可能性があるとも。本当は最初の女帝だったかもしれません最後にこの皇女を選んだのは、女性が自分のいいたいことを言える世の中になっていくといいなという願いも込めています。

 

そんなわけで、今回上記の皇女を選びました。この地に生きてきた様々な女性たちを、今後も恭子さんに描いてもらいたいなあと思っています。

ことのまあかり店頭では明日3月3日から、フルコトでは3月4日からの発売となります。

通販も近日中に開始する予定ですので、どうぞよろしくお願いします~!