ひめみこごよみ 発売
エッセイを~とかいいながら、いきなり最初が商品の完成報告ですみません。
上村恭子の「ひめみこごよみ」が完成しました!
私が皇女を選定して、イメージを伝えたものを上村恭子が形にしています
-4月 手白香皇女
継体天皇皇后。雄略天皇系の皇女ですが、欽明天皇の母でもあり今につながっていく象徴的な存在として感じています。前の季節からのつながり…ということを考えて4月にしてみました。
個人的なことですが、西殿塚古墳にしばらく通っていた時期がありました。時代的には確実に違うのですが、宮内庁では手白香皇女陵墓に治定されています。この付近白い花が印象的な季節に通っていたこともあって4月の皇女を考えたときに手白香皇女が最初に出てきました。
-5月 阿閉皇女
恭子さんは私が以前お願いしたときや他の仕事で元明天皇を何度か描いているのですが、今回はまたちょっと違う、強い女性のイメージで描かれています。
5月にした理由は、草壁皇子が薨じたのが(新暦だと)5月だということが大きいかもしれないです。
-6月 吉備内親王
草壁皇子の娘で、長屋王の妃です。個人的に、長屋王の妃ということは、きっと唐からの最新情報などもすばやく手に入るような立ち位置だったのでは、という想像をしています。なので、わりとファッションリーダー的な存在だったのかなと。きらびやかな服装を好んでいたかもしれないなあという想像をしていて、そのことを伝えたところ、このような感じになりました。わりと幼い表情なので、このくらいの年代のころはまだこういう服装ではなかったかもしれませんが、イメージ、ということで。
-7月 鸕野讚良皇女
持統天皇です。宮滝の水に触れるイメージ。夏の宮滝はとても気持がいいところです。持統天皇は在位中に31回も宮滝に訪れています。どういう意味があったのか諸説ありますが、夫も息子も健在だった時代を思いながら、ただひたすら疲れを癒していたかもしれません。というわけで夏のイメージで7月にしました。
-8月 酒人内親王
父は光仁天皇、母は聖武天皇の娘、井上内親王。斎宮ながら、井上内親王が薨じたことで都に戻り、兄の桓武天皇の妃となり娘を産んでいます。娘も斎宮となり、親子三代の斎宮に。しかし娘は若いうちに薨去。酒人内親王自身は829年まで生きています。華やかで自由な女性で東大寺で万燈会を常に行っていたとも記されていたそうです。私はこの、酒人内親王がはじめた万燈会が、今実際は関係が無くても現在も行われている燈花会や東大寺や春日大社の万灯籠にもつながっているような気がしてならないのです。
-9月 十市皇女
大友皇子の妃で天武天皇の娘という複雑な立場にあった十市皇女です。壬申の乱が終わったのが新暦にすると8月ごろ。その後の月で、少し不安げな表情の十市皇女です。9月ですが、手には山吹を。こちらは有名な高市皇子の歌のイメージですが、高市十市を推すものではありません(笑)(でも高市と十市の関係にロマンを抱く方向けに)
-10月 大伯皇女
斎宮、大伯皇女。大津皇子の姉ですね。二上山から弟を悼み詠んだとされる歌が有名です。今回の出来上がってきて一番びっくりしました。色っぽい大伯皇女!10月なのはもちろん大津が薨じた時期だからでございます。
-11月 宝皇女
皇極・斉明天皇です。宝皇女に関しても、これまで何度か恭子さんに描いてもらっていますが、また新たなイメージで描いてきたなあと。高向王と結婚する前のイメージでしょうか。「ひめみこごよみ」なので、天皇に即位する前、まだ結婚もしていないころだとすると彼女は女王であって皇女ではないのですが、そのあたりは気にしないでください(笑)
-12月 氷高皇女
元正天皇です。2歳のころに大病をしたことが日本書紀に記されており、また勅願寺の寺伝などをみると決して常日頃から健康な人ではなかったのかもしれません。そんな彼女が養老への御幸で知った養老の醴泉の水は、今まで味わったことのない水で、年号を養老に改元してしまったくらい元正天皇にとってすばらしい水だったようです。その養老の水との絵を描いてもらいました。これまたこのエピソードのときには即位していて皇女ではありませんが、大目にみてください(笑)
-1月 額田部皇女
推古天皇です。実は前回のフルコトメガミゴヨミ2015の12月が推古天皇でした。古事記の最後の記述が推古天皇だったので、今回は新しい年の最初に来るように1月にしてみました。前回もシャーマニックなイメージでしたが、今回もそうですね。
-2月 阿部内親王
孝謙・称徳天皇です。聖武天皇の娘ですが、大仏開眼の際は彼女が天皇でした。ということを恭子さんに伝えたところ、仏様と向き合うような風情で描いてくれました。これた色っぽいですが(笑)
-3月 飯豊青皇女
最後は飯豊青皇女。飯豊天皇とも呼ばれ、甥(または弟)たちが見つかるまでの間、即位していた可能性があるとも。本当は最初の女帝だったかもしれません最後にこの皇女を選んだのは、女性が自分のいいたいことを言える世の中になっていくといいなという願いも込めています。
そんなわけで、今回上記の皇女を選びました。この地に生きてきた様々な女性たちを、今後も恭子さんに描いてもらいたいなあと思っています。
ことのまあかり店頭では明日3月3日から、フルコトでは3月4日からの発売となります。
通販も近日中に開始する予定ですので、どうぞよろしくお願いします~!
このブログについて
新たに、奈良のエッセイ本を出そうと考えていました。
書き下ろしで、となるとその作業時間などがなかなか取りにくいこともあり、半分くらいの分量はブログに書き留めたものをまとめて出したいなと考えました。
それ以外は今のところ詳細未定です。どんなふうに発行するか、なども含めてブログに書いていこうと思います。
奈良に住んで2年たちます。生活しながら旅する視点で見た奈良のことについて書いていきたいと思います。
奈良のことを紹介するだけではなく、個人的な思いを織り交ぜつつ書いていくつもりです。
どうぞよろしくお願い致します。
生駒あさみ
20歳のときに旅行をした奈良にのめりこみ、以来15年間東京から奈良に通いつめる。
会社を退職したのを機にDTPの学校で印刷物製作について学び、2008年、かねてから自分が欲しかった奈良の行事が満載の手帳「奈良旅手帖」を刊行。
フリーで仕事をしつつ、奈良まほろば館オープニングからスタッフとして数年働く。
2010年には奈良のガイドブック「ふたりでいく奈良」をアスキーメディアワークスより刊行。
2011年には東京在住のまま、奈良きたまちに「旅とくらしの玉手箱フルコト」を仲間と運営開始。
2014年に奈良に移住。
2015年3月にはガイドエッセイ本「ならびたり」を発行。
同3月、近鉄奈良駅から徒歩2分の2階に雑貨カフェBAR「ことのまあかり」を開店。
奈良県発行の冊子「なら記紀万葉名所図会 古事記 神様人物入門編」「なら記紀万葉名所図会 日本書紀ことはじめ編」「なら記紀万葉名所図会 日本書紀歴史体感編」「祈りの回廊(2015、2016年)
などの編集ディレクションの仕事、奈良に特化した企画、奈良ガイド本のライティングや編集、講演などの仕事もしている。
2016年にはフルコトの仲間と編集プロダクション「ココトソコノ制作室」を開始した。
以前のブログ Naratabi-Holicはこちらhttp://naratabi.blog76.fc2.com/
奈良旅手帖HP http://naratabi.jimdo.com/
Twitter https://twitter.com/asamiikoma
フルコト http://www.furukoto.org/
ことのまあかり http://www.furukoto.org/kotonomaakari/
これまでの仕事などの詳細は「ならびたり」著者紹介ページへ
著者 生駒あさみについて | ならびたり -奈良のガイド・エッセイ本-
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