奈良旅×生活

奈良旅のこと、奈良生活のこと。

interesting!→愛

 

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先日、過去の日記を読む機会があったのですが。

穴があったら入りたい!!

というくらいの恥ずかしさでした。過去の自分はまあ得てしてそうなんでしょうけれど、こんなこと今は絶対思わない、というような内容が書かれていました。恥ずかしい以外の何者でもない。

あ、もちろん奈良についての日記です。web上にはもう無いので探さないでください(笑)

若かった。私は何も知らなかった。無知って本当に怖いし、無知だからこその傲慢さがあった。最初の私はこんなふうに奈良をみていたのかと、過去の自分に大きなダメージを受けさせられました・・・。

奈良に通い始めた頃の自分は「好き」と「面白い、興味深い」という目線で奈良をみていたのだと思います。「楽しい!」というテンションはひたすら高かったです。しかし、愛がまだなかった。愛がないから傲慢な書き方が出来てしまった。愛って、知りって、体験してはぐくんで行くものなんですね。人間だって出会っていきなり「愛してる!」とはならないですもんね。そりゃそうだ。

愛があれば、何が失礼で何が失礼ではないのか。というとが理解できます。傲慢だなって思ったことは私がイメージしていた「奈良」と違う部分に対して、都内に住んでいる者の価値観で語ってました。いやいやしかしほんと、それって傲慢でした。

通い、興味をもち、知っていくことでどんどん愛着が深まっていきます。奈良に生きている人たちに出会い、心が動く。歴史を知り、奈良に生きた人たちの思いを知ることで自分の人生がどんどん豊かになっていきました。「おもしろい!興味深い!」という気持ちが湧いたら、そこでとどまらずに時間をかけて愛情にしていく。そういうことが大事なのかもなと思います。愛するものは、大切にしたいですもんね。

最近、文化財の活用活用という言葉をよく聞きますが、活用する側が愛を持っているか。というのは非常に大きな問題かもしれません。愛があれば残すべきもの、伝えていくべきことというのはおのずと知れてくると思うんですよね。行政さん、知って!愛して!それから活用して!(笑)

素晴らしい作品を手がけるのにものすごく自分の作品に謙虚な方がいらっしゃいます。長年様々な体験をして、たくさんの人を知っています。その方は、だからこそそのように謙虚になられるのだろうなあ。と思っていたところでした。(その後自分の傲慢な日記をみて、落ち込んだ)

知ることで謙虚になれる、そういうことを忘れずにいたいです。